明治民法下の家制度をビジュアル化したのが「代々墓」だといってもいい。しかし、「家」というけど、明治になるまで、そんなものに縛られている人は多くなかったのである。せいぜい武家と、相続する財産のある豪商や豪農くらい。戸籍制度ができた時点で、これに合致する家族は二%程度だったという(湯沢雍彦『明治の結婚明治の離婚』)。為政者は、その二%をモデルに民法をつくったのだった。たいした財産も持たぬ庶民までが、「結婚は家と家の結びつき」と考え、「墓は先祖代々のもの」と信じるようになったのは、明治一民法の制定以後、と思っていい。近世の大部分の農民や労働者は、相続する財産もなかったし、名字すらないのだから家意識は育ちようもない。もちろん宗門人別帳はあり、屋号によって家と家との区別くらいはしていたけれども、彼らが重視したのは家より共同体。血縁よりも地縁である(どちらがマシかはともかく)。客を招いて結婚式をやるのも新しいメンバーを共同体に紹介して承認を得るためだったし、伝統的な村落共同体には若い男女が出会う「若者組」「娘組」なんていうシステムもあり、「夜這い」もふつうに行われていた。葬式も墓も同様で、葬式は完全に共同体(葬式組)の行事、墓にいたってはないも同然だった。それを根本から変えたのが、民法という近代の法制度と、資本主義経済の発展だった、というのがおもしろいところである。「しきたり」「伝統」「作法」なんて、蓋を開ければ、案外とそんなものなのである。
老入れといった、追加された時間が重ねられていくことを喜ぶ事例として、長寿銭の習俗がある。年祝いを重ねてきた長寿の人が亡くなり、葬儀が行われるさい、「長寿銭」の名でお金が参列者に配られるのである。群馬・埼玉県からの報告例が多い。これを調べた板橋春夫によると、この習慣はごく新しいものであり、昭和三十年代以後から行われているという。だいたい九十歳を超えた老人が死んだとき、葬儀社が用意した「長寿銭」の袋の中には、五円、五十円、五百円などとゴエン(御縁)という縁起をかついだ金額が入れられている。伊勢崎市で満百三歳で亡くなったお婆さんの場合、「長寿銭」「氏名百四歳」と印刷された小さな祝いの封筒が、葬式の引き出物として一緒に配られていた。当日は会葬者が多かったので、この長寿銭はすべての人に行き渡らず、もらえなかった人たちがどうしても欲しいというので、四十九日の法要の前に印刷会社に頼んでわざわざ袋を増刷したという。そして袋の中には葬儀の当日と同じ五百円硬貨と五円硬貨を入れて仏壇に上げ、お坊さんに拝んでもらい、以前に行き渡らなかった人たちへ配ったという。
セルフサービスのコーヒーショップ、新幹線など、座席に携帯電話を置きっぱなしにしている人を見かけると心配になる。というのも、もしも携帯を悪意ある人間に盗られたりしたら、問題は自分だけではすまないのだ。実際に、携帯電話を盗られた人の話を聞いたところ、仕事に使っていたため急に番号を変えることもできないでいると、いたずら電話などの個人的な被害に加え、中のデータから仕事関係者にまで迷惑行為が及んでしまったそうだ。プライベートでも気軽に持ち歩さしている携帯だが、その中にはたくさんの個人情報が詰まっている。個人所有の携帯電話でも、仕事の関係者の番号を登録している人は多い。携帯の紛失は、中の個人情報の悪用につながる。さらに会社の携帯電話で顧客データなどを管理していたら大問題だ。個人情報は、企業にとって、今もっともデリケートに扱わなければいけないもの。自分の不注意で流出させることがあってはならない。個人情報の詰まった携帯電話は厳重管理!置き忘れや紛失などには充分注意しよう。