すべての受験生に親がいると考えると、受験を経験する親など星の数ほどいるのですから、あえて「親としての受験体験」などを書く意味があるのだろうかとも迷うのですが、何しろ中学受験に関わって十数年、仕事として相当深くのめり込んではいたものの、親として感じる気持ちと、塾の教師として感じる気持ちに少しギャップを感じてしまったのも事実です。「さぞかし手慣れているだろう」と思われる方も多いのではないかと思うのですが、やはり親としての受験体験は初めて、ということで、いろいろ新しい発見があったように思います。「親として」という言葉にすぐ感じるのは、なにかしらシトシト、ドロドロしたイメージです。中学受験で力を発揮するのは、もっとドライな感覚なのですが、「親」ともなると、どうしても「これでいいのだろうか?」などと考えがちです。ですから、子供を叱咤激励し、「ともにがんばろう!」という塾の教師の存在が貴重なのでしょう。でも本当は、「親」こそが、この爽やかでドライな感覚を受験期間中、持ちこたえていかなくてはならない存在のはずなのです。
暗記時間が終了したら(子供が「暗記し終えた」といった場合も)模範解答を回収してテストと採点をしますが、この採点が最重要ポイントです。採点は「全問完全正解なら○」「一つでも不正解かあれば×、再テスト」とし、個々の設問に○×をつける(どの設問が×かを子供に教える)ことは絶対にしないでください。つまり「どこでミスしたのか」を自分自身で発見し、ミスを修正して全問完全正解するまで再テストから解放されません。こうしたシビアな状況に追いこまれて、はじめて子供たちは正確性の大切さを学ぶのです。多くの親は「うちの子には注意力がない」となげきますが、それは子供が注意力を欠いてもこまらない環境に置かれているからで、つきつめれば大人の責任です。
勉強ができる人は「IQが高い」といわれます。IQとは、「知能指数」といわれているものです。これに対して、「EQ」という言葉があります。EQは、感情知能といわれるもので、感情のコントロールや対人関係能力を指す新しいタイプの知性だとされています。勉強においては、ややもすれば知能、すなわちIQが重視されがちになります。しかし、実際にはEQ的な要素がないと、安定した勉強が続かないので、受験などでの成功の可能性は低くなります。さらに、実社会においては、IQ的知能だけでは人の信望や信頼を得られません。とりわけ集団あるいは組織における調和を重視する日本においては、EQは重要です。IQが高くて与えられた仕事がそれなりにこなせれば、そこそこの社会的成功を勝ち得ることはできるでしょうが、実際には、感情のコントロール能力や対人関係能力がなければ、それ以上の成功は困難です。